日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 第1巻—「する」の世界

日本語のテンス・アスペクト研究を問い直す 第1巻—「する」の世界

  • 発売日: 2019/10/23
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 有田節子「スル・シタ・シテイルの意味をめぐる3 つの問い」、まだ途中。

シテイルの進行と結果状態を統一的に理解するのに、完成相・不完成相・完了相という道具立てでは無理であることは既に明らかだ。継続相として押さえ込もうとするとき、その継続という意味がどこから出てくるのかをイルに求めるのも当然だ。ここではシテイルは継続化というより状態化になる。

一方で、結果状態と経験記録を分ける意味がないこともすでに明らかだ。しかし経験記録は状態なのだろうか。継続説では何かが事態時から基準時まで継続していると主張した。何かの「効果」が継続していると。これが無理筋なのは明らかである。同様に状態説でも無理である。「この写真に写っている花瓶は、去年割れている。」において、花瓶はどういう状態なのだろうか。

リセット時という概念は経験記録用法を説明するために必要とされているが、リセットがありえない、単一主体の非多回の不可逆的変化「死ぬ」「腐る」「壊れる」「治る」にはリセット時が存在しえないため、経験記録用法がないという予測を導くが、これは事実に反する。「この人は10年前に死んでいますよ。」は明らかに経験記録である。よって、この道具立てでは進行・結果状態と経験記録は同時に扱えない。

進行と結果状態が一つであり、結果状態と経験記録が一つであるのはもはや疑いないが、シテイルの文法化の過程・通時的変化からも明らかなように、それぞれの一つが同じものであるという保証はない。

シテイタのところは、今のところ直感が死んでいるのでよくわからないのだが、シテイタで挙がっている例は経験記録ではないのではないか。そして過去の経験記録は過去完了的に普通にありうる。そしてそのときのタでは、確認した時点が発話時以前である必要はないように思える。

まだ読み終わっていない。